【箕谷古墳群】県下で最古の銘文鉄刀が発見された貴重な史跡【兵庫県養父市】

箕谷古墳群史跡
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箕谷(みいだに)古墳群は兵庫県養父市の北近畿豊岡自動車道「八鹿氷ノ山」インターチェンジ近くにあるつるぎが丘公園の中にある古墳です。

昭和58年の公園整備で発掘調査が行われ、県下では最古の年号を記した銘文入りの鉄刀が発見された貴重な史跡です。

推古天皇や聖徳太子の時代の人物が埋葬されていると考えられている古墳群です。

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箕谷古墳群の訪問記

2019年7月30日に息子と二人で「箕谷古墳群」に訪問してきました。

入り口が微妙にわかりにくい

スマホのナビで史跡の看板はすぐに見つかりました。が、ナビの案内はここで「目的地に着きました。音声案内を終了します」と言われます。

たか
たか

いや、なんでやねん!ここからが知りたいのに!と、思わずツッコんでしまいました。

箕谷古墳群の看板が目印
↑箕谷古墳群の看板が目印

看板の右手に左にカーブした坂道がありますのでそこを入ります。車で入れますが道が狭いので注意。

看板右手の坂道を登る
↑看板右手の坂道を登る

坂道を左にカーブしながら登ると左手にグラウンドが見えるほぼ直線の道が現れます。ここをまっすぐ道なりに進んでください。

直線の道を道なりに進む
↑直線の道を道なりに進む

まっすぐ進むと正面に史跡が見えてきます。

車は史跡を正面にして右手手前に少しスペースがありますので、そこに停めさせてもらいました。(写真を撮ったハズがデータが残っていなかったので申し訳ありません・・)

史跡正面の写真。
↑史跡正面の写真。
箕谷古墳群史跡の石碑
↑箕谷古墳群史跡の石碑

敷地内に入ると箕谷古墳群の説明書きが見えてきます。

箕谷古墳群の説明書き
↑箕谷古墳群の説明書き

史跡 箕谷古墳群
指定:国指定文化財 平成4年12月18日 7,000㎡
所在:兵庫県養父市八鹿町小山字箕谷283番地ほか

箕谷古墳群
つるぎが丘公園を建設するために昭和58年に箕谷古墳群を発掘調査しました。ところが2号墳から銘文入り大刀が発見されたため、文化庁の指導をえて古墳を現地保存しました。そして平成5年度に史跡の保存設備が完成しました。
ここには2号墳から5号墳までの4基の古墳が作られています。古墳の内部には石をくみあわせた横穴式石室があり、その上に盛土をして墳丘を作っています。
立地をみると、古墳群の後方にあたる北側から山の尾根がせまって袋状の地形になる一方で、古墳の前方にあたる南側は低く開けます。さらに石室の入口は南方向に開きます。こうした地形や方位を考えて古墳を作ることを、風水の思想による選地といいます。これは7世紀の飛鳥地方で作られる古墳と共通する特徴です。
箕谷古墳群から出土した土器類から年代を検討すると、西暦620年代から650年代にかけて作られた古墳群と推定できます。2号墳からはじまって3・4・5号墳と順番に古墳を作っています。この順番で古墳の規模が小さくなり、さらに古墳の位置が高くなります。
古墳の大きさをみると2号墳は東西12m・南北14mで、4号墳は東西5.6m・南北7mで約半分です。時期が新しくなるほど古墳は小さくなります。4・5号墳は、古墳時代の終末期に作られる一人埋葬のための小形の古墳です。
3号墳は、墳丘の盛土を3段につんで、さらにそれぞれの段に石垣状の列石をならべます。平面的にみると3重に列石をめぐらす大変珍しい構造です。但馬には列石を持つ古墳が多くありますが、3重の列石は兵庫県下でもこれだけです。古墳の大きさは、南北13.5m・東西9・5m・復原高3.0mです。
この当時に但馬を支配した国造の古墳と考えられる大藪古墳群が、約4㎞東南にあることから、箕谷古墳群の埋葬者も彼らの但馬支配に貢献した一族と考えられます。

戊辰年銘大刀
この大刀は銘文から戊辰年銘大刀と呼んでいますが、戊辰は「つちのえたつ」という干支の年号で、推古天皇16年(608)にあたります。大刀の金具から、大和の飛鳥地方で作られたものと推定されています。
大刀は柄の一部が折れていますが、68.8㎝の刀身が残っていました。また木製の鞘は腐っていましたが、金メッキをした金具が残っていました。圭頭系大刀という種類で、刀身の全長は77㎝前後と推定されます。
銘文は刀身の柄よりに、「戊辰年五月(中)」の6文字を刻んでいます。鉄にタガネで線を掘り、その線に銅線をうめこんで文字をかくもので、銅象嵌という技法です。これは日本最古の銅象嵌です。
なぜこの大刀が作られたのか、戊辰年にどんな出来事があったのか。今後もナゾは続きます。

1994年3月 文化庁・兵庫県教育委員会・八鹿町教育委員会

イノシシ対策の電気柵に注意

箕谷古墳群の後ろは山です。イノシシ対策のために電気柵があります。18時〜翌6時は柵に電気が通っています。触ると感電する恐れがありますので充分に注意してください。

イノシシ電気柵注意の看板
↑イノシシ電気柵注意の看板

電気柵注意書きのすぐ右に電気柵を外せる部分がありますので外して中に入ります。

帰りは必ず電気柵を元に戻して帰ってください。イノシシが道路に出てきてしまうと、近隣住民の方に大変な迷惑となります。

この電気柵を外して中に入る
↑この電気柵を外して中に入る

2号墳

敷地内に入り、古墳に近づくと一番手前に2号墳が見えてきます。発掘調査で銘文入りの鉄刀が発見されたのがこの2号墳です。

2号墳入り口
↑2号墳入り口

2号墳入り口手前には説明書きがあります。

2号墳説明書き
↑2号墳説明書き

箕谷二号墳
戊辰年名大刀
昭和58年12月、2号墳から出土した大刀を奈良国立文化財研究所でエックス線検査したところ「戊辰年五月(中)」という銘文が発見されました。
戊辰年は西暦608年をしめす古代文字です。この年、推古天皇の命をうけた小野妹子が第2回遣隋使として中国にわたっています。
全国で8本の銘文入りの刀剣が発見されていますが、古代の干支年号をもつ鉄刀は箕谷2号墳の他には埼玉県稲荷山古墳の鉄剣だけです。
わが国における古墳の絶対年代と刀剣類の編年を考える貴重な資料であり、国指定の重要文化財です。

箕谷二号墳
二号墳は東西12m・南北14m・復原高3.2mの円墳です。西暦608年をしめす戊辰年の大刀を出土した古墳として、構造も注目されています。
人を埋葬する横穴式石室は長さ8.6m・幅1.2m・高さ1.7mの大きさです。
側壁の最も下には奥壁から大きな石材を4石続けて、その上に3段ほど石材を積みます。表面の整った長方形の石を横積みした丁寧で安定感のある石室です。また床には礫を敷きます。
石室から出土した遺物は戊辰年銘大刀をはじめ、金環という装身具、杯蓋・杯身・壺・甕などの須恵器・鉄鏃・馬具等の鉄製品など103点です。
耳飾りと考えられる金環が3点出土したことから、最低でも2人の埋葬者があったことが推定できます。

2号墳入り口を奥に進んでみます。

2号墳入口を奥に進む
↑2号墳入口を奥に進む

入り口を奥に進むと柵がしてあり、奥に埋葬品の一部や人型が見えます。

埋葬品や人型。ツボや皿なども見えます
↑埋葬品や人型。ツボや皿なども見えます

2号墳の上部に登ると窓のようになっており、中が上から見れるようになっています。

古墳上部に窓があるおかげで内部が明るく見学しやすい
↑古墳上部に窓があるおかげで内部が明るく見学しやすい

3号墳

2号墳の後方には3号墳があります。こちらは2号墳と違い、石の数が多く使われています。

3号墳の全景。2号墳に比べて重厚
↑3号墳の全景。2号墳に比べて重厚

4号墳・5号墳

3号墳から左方向には4号墳と5号墳があります。こちらは土を盛っただけの簡素な作りになっています。

4号墳と5号墳
↑4号墳と5号墳

まとめ

綺麗に整備された古墳群でした。15分〜20分くらいあれば説明書きを読んで見て回ることができると思います。入り口がわかりにくいのでそこに注意すれば良いと思います。

あとは繰り返しになりますが、必ずイノシシ対策の電気柵には注意するとともに、お帰りの際は電気柵の閉め忘れに注意するようお願いします。

箕谷古墳群の基本情報・アクセス

史跡名箕谷古墳群
住所〒667-0032 兵庫県養父市養父市八鹿町小山箕谷282番地つるぎが丘公園内
電話社会教育課  079-664-1628
料金無料
営業時間特にありませんが、**イノシシ対策の電気柵があるため実質6時〜18時
休日なし
その他イノシシ対策の電気柵が設置されています。
夜間(18時〜翌6時)は電気が流れます。絶対に注意してください。
この記事を書いた人
たか

20年近く身を置いたある業界で仕事をするうちに、健康面やライフスタイルについて深く考えることが増え、理想と現在の生活スタイルにギャップを感じるようになり、ついに新たな挑戦として農的暮らしを開始しようと決意しました。

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