引田城(ひけたじょう)は香川県東かがわ市にある徳島との県境に近い、続日本100名城に選ばれた小高い山の上にある海城です。
この記事では、2019年12月に家族で訪問した時の様子と、続日本100名城スタンプの設置場所や見どころ・アクセスなどについて紹介しています。
引田城の続日本100名城スタンプ設置場所
引田城の続日本100名城スタンプ設置場所は引田城にはありませんので注意が必要です。
スタンプを押す場合は讃州井筒屋敷(10時~16時、休館日:水曜日)か、引田公民館(9時~17時、休館日:火曜日)に行きましょう。 城見学をする前、先にスタンプを押しておくことをオススメします。
引田城の見学所要時間
見学所要時間は私たち家族で写真を撮影しながら・休憩しながらの見学で約80〜90分でした。最初から上り坂が続き、ハイキングさながらですので運動不足のファミリーだと時間に余裕を持ったほうが良いかもしれません。
引田城とは
引田城は城山と言われる山にある平山城で、初期の頃は、尾根伝いにコの字型に展開し、四隅には櫓を備えていた。現在の遺構は、四隅の櫓の内、北と西の2つの櫓を中心に残っている。
Wikipedia
引田城は高松城や丸亀城と同じく生駒時代の城であるが、その後香川の歴史上から消え去っている。それは同じく高松城の支城であった丸亀城のように、その後再築されなかった事も要因の一つだと言われている。
1615年の一国一城令で廃城になった後、城がいつ取り壊されたかは不明で、長らく忘れられた存在だった。しかし近年、文化財として調査・保存の機運が高まっている。
引田城は667年頃(天智天皇の時代)に「屋嶋城(やしまのき)」と共に唐・新羅対策として築城されたと考えられています。 平安時代後も、瀬戸内防衛の要所として近世にかけて代々整備されてきたようです。
現在の城址は、豊臣秀吉の時代に入城した生駒親正の石垣遺構が残る貴重な城です。生駒親正は引田城に入城後、同じ讃岐の高松城・丸亀城を築城したのですが、高松城・丸亀城共に江戸時代の改修で生駒時代の石垣は残っていません。
その後、江戸時代の一国一城令(1615年)で廃城となりました。
引田城訪問記
☆印がスタンプ設置場所、Pが駐車場、地図中の番号は以下記事中の番号と合わせてあります。(ただし8と9は未訪問)
讃州井筒屋敷
まずは、讃州井筒屋敷(さんしゅういづつやしき)に続100名城スタンプをゲットしに行きます。入り口入って右の店内に入らせていただきスタンプを押します。
私たちは最初、引田公民館に行きましたが12月29日で庁舎は閉まっておりました。入り口前などにスタンプ置いてあるのかな〜?と思いましたが確認できず。 しかたなく讃州井筒屋敷のほうに来たワケです。
讃州井筒屋敷でスタンプを押し、側に置いてあるパンフレットをいただきます。
引田城に向かいます。一応、引田城南西駐車場に簡易トイレがありますが、城に向かう前にトイレを済ませておいたほうが良いかもしれません。
あと、登山道になりますので我が家はトレッキングシューズも準備して行きましたが、これが大正解でとても快適に歩けましたよ〜!
駐車場
引田城の登山道は北西と南西の2箇所あります。北西駐車場のほうが台数停められます。 ストリートビューを貼っておきますね。
北西駐車場
南西駐車場
登山道入口
登山道入り口から早速見て行きます。今回私たち家族は引田港側登山道から登りました。手書きの標識が微笑ましい(笑)
早速案内板があります。
東かがわ市指定文化財
引田城址
◎位置 東かがわ市引田 城山国有林8林班
◎種類 史跡
◎指定年月日 平成12年12月20日東かがわ市教育委員会
引田城は、東かがわ市引田の北側に岬状に突き出した城山(標高82m)の山頂に築かれています。
文献史料上、引田城に関わる記述が見えるのは、江戸時代編纂の軍記物語『南海通記』にあるのが初見です。戦国時代には阿波三好氏との攻防があり、引田城の城主は四宮氏、矢野氏など何度も変わりました。
戦国時代の終わりごろの天正15年(1587)に、播磨国赤穂(兵庫県赤穂市)から豊臣秀吉の家臣である生駒親正が讃岐国を治めることとなりました。生駒氏は讃岐国支配の拠点とする高松城と平行して、慶長年間(1569〜1615)に西讃地方の支城として丸亀城、東讃地方の支城として引田城を築きました。
現在の引田城址には、生駒氏が築いた自然石を積んだ野面積の石垣が残っているほか、建物の礎石やたくさんの瓦が見つかっています。この技術は、織田信長の安土城築城から始まり、信長・秀吉方勢力によって築かれた、織豊系城郭と呼ばれるものの特徴です。
高松城や丸亀城は城主が変わったことや市街地の開発のため改変されていますが、引田城址には築城時の石垣が残っており、石垣の年代の指標と成りうる貴重な城跡と評価できます。
案内板でお勉強した後は登山道を登って行きます。最初から結構な勾配で登ります。ちなみに現在の登山道は大正時代に整備されたもので、本来の道は追手門跡に繋がる道があったと考えられています。
ジグザグと急勾配を登ると少し緩やかな坂道になります。
150m地点まで登ると視界が開けて引田の街と湾が一望出来るところへ到着。本丸まであと410mです。
ここから少し登ったあたりにベンチがありましたので、水分補給と少し休憩することに。
散策マップだとこのあたり。
ベンチで休憩後、また出発します。緩やかな坂を登って行きます。
緩やかな坂を登ると狼煙台跡です。
①狼煙台跡
狼煙台跡に到着しました。引田港側登山口から390m、本丸まで170mの地点です。
この狼煙台は本城である、唐・新羅対策として建造されたと考えられている、屋嶋城(香川県高松市屋島東町)との連絡に使われていたそうですよ。
狼煙台を見た後は、本丸の石垣跡を目指します。狼煙台からさらに登っていきます。
さらに、、、登って、、、あ、一番奥に何か見えてきましたよ。。
②本丸の石垣
ようやく本丸の石垣に到着しました!
石垣カッコええ〜!横からも確認します。
ここは、本丸の西の端にあたる場所です。案内板がありました。
東かがわ市指定文化財
引田城址 本丸東かがわ市教育委員会
この一帯の曲輪が本丸であり、ここから南東に100mにある長方形の櫓台が天守台と推定されています。
本丸の西側に位置するこの算木積は、隙間に真詰め石を用いる古い積み方で、引田城址で最初に築かれた石垣と考えられています。
天守台の存在や石垣に折りが多用されることから、城内でも最も主要な曲輪と位置づけられます。
また引田城の石垣は、城山周辺の和泉層群の砂岩と礫岩を利用して築かれています。
ここからの眺めは最高ですよ〜!絶景です。
本丸石垣を後にして、先へ進みます。すぐに分岐点の案内標識が現れます。
ここは、あらかじめルートを決めていた天守台跡へ向かいます。天守台跡へ向かう途中、南の郭のあたりに三角点がありました。
このあたりにはベンチがあり、そのベンチには缶の箱が置いてあり、中には来訪者の書き置きができるノートが入っていました。我が家も記念にコメントを書いておきました!
③天守台
いよいよ天守台です!、、、が、ここで痛恨のミス!
なんと、写真を1枚も撮影しておりません(涙)いやあ、天守台にはその時たくさんの方が休憩されており、気軽に撮影出来るような状況じゃなかったんですよね〜。
ええ、言い訳ですけど。
なので、Twitterからちょっとお借りします。便利な世の中になったもんです。こちらのツイートの右上の写真が天守台跡の写真です。
気を取り直して、次なる目的地化粧池を目指します。これまでの登りから一転、下り道です。北の方角に向かいますのでシダ植物が茂っています。濡れていると滑りやすそうですので気をつけてくださいね。
④化粧池
しばらく下ると化粧池に到着。化粧池は引田城に住む女性達が池の水を使い化粧していたと伝わり、水不足を補うために築かれたとされています。
訪問した時は一瞬どこに池があるのかわからないほど水が少なく、探してしまいました。まあ1分ほどでみつけましたけど(笑)
この化粧池には、事前情報を知らないと多数の人が見落としそうな石垣もあります。化粧池の南(向かって左)側にあります。このブログに来てくれたあなたはもう見落とさないですね(笑)
化粧池を後にして東の丸へむかいます。途中、化粧池から230m地点のところに引田灯台があります。
⑤引田灯台
引田灯台からの絶景を堪能した後、70m先の東の丸を目指します。
⑥東の丸
東の丸に到着しました。東の丸は上中下3段の曲輪から構成され、塁線の石垣が一続きになるように連結されているそうです。火薬を保管する煙硝蔵(えんしょうぐら)などの軍事施設があったと推定されています。
おそらく上図散策マップの東の丸の右側から左に向かって、下中上の順ではないかと思います。(想像)
下の段・中の段の様子はこんな感じです。
写真のベンチ右奥へ行くと上の段(多分)になります。
続いて、北二の丸を目指します。途中、東の丸・本丸・北二の丸の三方向分岐点に標識があります。
⑦北二の丸
分岐点から約100mで北二の丸の東側に到着しました。土塁のような物が現れます。そのまま回り込むようにして先へ進みます。この先には引田城最大の見どころである、石垣を見に行きます。
土塁の先、少し下った場所に石垣があります。。。。と言っても現在は崩落の危険があるためシートが被せられており残念ながら実物を目にする事はかないません。事前に調べてあったので実は知っておりました。
注意書きと共に在りし日の姿の写真が掲示されています。
上段の石垣の写真を見た後は、もう少し下にある下段の石垣を忘れてはいけません。この下段の石垣は存在を知っていないとほぼ間違いなく見落とします 。上段の石垣からだと、ちょうど死角に位置するからです。
事前に知っていた我が家も危うく見ずに帰ってしまうところでした・・・。
東かがわ市指定文化財
引田城址 北二の丸東かがわ市教育委員会
北二の丸の下は、城の出入り口である大手道です。大手道の左右に北二の丸と南二の丸の石垣が広がります。
北二の丸には上段2〜3m、下段5〜6mの高石垣が残っています。上段の石垣は城内でも大きな石材を使っています。下段の高石垣では間詰め石が丁寧に詰められています。
石垣で囲まれた北二の丸と南二の丸は、御殿があった場所と推定されています。北二の丸では発掘調査により、建物の礎石と多くの瓦が発見されています。東かがわ市教育委員会
続いて、北曲輪の見学と行きたかったのですが、この後丸亀城も行く予定で時間も無く、ここで見学を終了し下山となりました。
まとめ:引田城は北二の丸の下段の石垣が最大の見どころです。
北曲輪と南二の丸を見学できなかったのが心残りではありましたが、肝心の北二の丸下段のすばらしい石垣を見れましたので今回はこれで良しとします。また機会を作って次回は必ず北曲輪と南二の丸を見学したいと思います。
そうそう、後は天守台の撮影も必ず!!
全体としてはアップダウンもあり、なかなか良いトレッキングコースでもあるので、既に述べましたがトレッキングシューズかスニーカーがあったほうが歩きやすいと思います。
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