丸亀城は香川県丸亀市にある日本100名城に選ばれた美しい高石垣のある平山城です。また、現存十二天守を持つ城としても有名です。
この記事では、2019年12月に家族で訪問した時の様子と、日本100名城スタンプの設置場所や見どころ・アクセスなどについて紹介しています。
丸亀城の日本100名城スタンプ設置場所
丸亀城の日本100名城スタンプは天守閣入ってすぐにあります。
丸亀城の見学所要時間
丸亀城の見学所要時間は私たち家族で写真撮影しながらで約90分くらいでした。
丸亀城とは
丸亀城は豊臣秀吉に信任された生駒親正が慶長2年(1597年)に亀山に築城を開始しました。
その後、元和元年(1615年)の一国一城令で廃城になるも、寛永20年(1643年)山崎家治により再建されます。その後、丸亀藩主となった京極高和によって万治3年(1660年)に天守が完成します。
丸亀城の天守は国内に現存する十二天守のうちのひとつです。現存十二天守とよばれています。丸亀城の天守は高さ15mで日本一小さいそうです。美しい高石垣と現存天守は人気で2006年に日本100名城に選ばれました。
丸亀城訪問記
Pが駐車場、地図中の番号は以下記事中の番号と合わせてあります。
肉DeLi高松ふじむら精肉店から走ること約40分間、お城見えてきましたよ〜!いつもながらこの瞬間はかなりテンションあがります。
丸亀城西側の駐車場に止めます。例によって撮影忘れました。。
①かぶと岩
駐車場すぐのところにかぶと岩があります。京極時代には岩上に祠があったそうです。案内板も何もないので足を止めている人は皆無でした。
さっそく次の玄関先御門、番所・長屋に向かいます。途中案内マップがありました。
②玄関先御門、番所・長屋
案内板からすぐのところに玄関先御門が見えてきます。
玄関先御門を正面にして向かって左側に番所・長屋があります。
御門をくぐって中へ進み振り返って長屋と玄関先御門を見るとこんな感じです。
門の左上には天守閣が。
まわりの塀の瓦には家紋が。
ちなみにうちの小学3年の息子はこれを見て、
京極家の家紋や!
と即答します。何者だ君は。
続いて大手門広場へ向かいます。
③大手門広場
大手門広場です。見えているのは大手一の門です。
④大手一の門
大手一の門です。大きな柱や梁です。梁は継ぎ足ししてありますね。寛文10(1670)年頃建築されたそうです。門の上の部屋では藩士が太鼓を鳴らして刻(とき)を知らせていたので別名「太鼓門」とも呼ばれています。
ちなみに平成18年6月10日の「時の記念日」からこの大手一の門で太鼓を9回たたき、正午(九つ時)を知らせる『時太鼓(ときだいこ)』が復活したそうです。
こういう取り組みは結構いいなと思います。
⑤大手二の門
大手一の門をくぐると大手二の門があります。
二の門には鉄砲狭間があります。
鉄砲狭間はフタができます。スライド扉になっています。
すぐそばに説明の石板がありました。
丸亀城大手一の門、二の門
もと南方にあった大手門を、京極氏入城直後の寛文十年(一六七〇)に北方のこの地へ移築した。大手の外門高麗門は切妻造りで、左右に狭間塀を持ち、南部の石垣は岩岐組みされ、大手二の門とよび、右方の 門は大手一の門とよばれ、楼上で時報の太鼓を打っていたので太鼓門ともいわれている。両門とも同時の建造で主要部はすべて欅材を用いている。
重要文化財
昭和五十二年六月十八日国指定
さて大手二の門から一旦外に出てみます。
12月29日なので、門松やしめ縄が準備されています。このまま東の方角を見ると掘と石垣のコラボが楽しめます。
石垣と堀のコラボを堪能したら再度、門から入ります。
二の門を突破したとしても。。
すぐに一の門があるため足止めされます。さらに周りから狙われるのでひとたまりもありません。こういった防御施設を枡形(ますがた)と言います。
ちなみにこちらの石垣は石を削って隙間なく積んでいく「切込みハギ」という石垣構築技術が使われています。
正面に見えるひときわ大きな石は「鏡石(かがみいし)」といって枡形のような重要な位置に使われることが多く主に魅せる石として用いられます。
続いて観光案内所へ向かいます。
⑥観光案内所
観光案内所へやって来ました。でかいキャラパネルが迎えてくれます。骨付鳥の骨付じゅうじゅうもいますね。
定番の顔はめパネルがあったので記念撮影。写真の下が切れちゃってますね(汗)
ここに寄った目的は丸亀お城もなかを購入することです!
丸亀お城もなかとはこんなのです。
さてパンフレットとお城もなかをゲットしたらいよいよお城の奥へと進みます。
⑦見返り坂
丸亀城名物見返り坂です。
傾斜が急で、時々立ち止まって振り返りたくなることから見返り坂と呼ぶようになったそうですよ。
足腰に不安のある年配の方は手摺を持って登られていましたよ。
見返り坂を登った所には三の丸高石垣が見えてきます。
⑧三の丸高石垣
見てください!この高さ!曲線美!!左下の人と比べるとおおよその高さ(約22m)が掴めるかと思います。
う、、美しい。。
ちなみにこの石垣は割った石を積み上げた「打ち込みハギ」という構築技術が用いられています。打ち込みハギは石垣の一段が横一列に目地が通る積み方なのが大きな特徴で、丸亀城の大部分がこの積み方となっています。
石垣の美
一般に見返り坂と呼ばれるこの坂は、新緑の頃は楓の若葉が、秋は紅葉が楽しい。右手頭上に三の丸の高石垣が、美しさと堅固さを誇ってそそり立つ。石垣の上端で垂直に立ち、徐々に緩やかな曲線を描き、遂に土に埋れる優美な姿は、丸亀城壁の美しさである。この石垣の高さは約二二メートルあって、本丸まで三段の高さは四〇メートルに近い。この城壁に丸亀城の風格を偲ぶことができる。
さらに左に見える坂を登ります。左側に見える石垣が次のポイントの三の丸東櫓台です。
⑨三の丸東櫓台
続いて三の丸東櫓台です。見返り坂から三の丸東櫓台へ向かう坂で振り返って写真を撮ってみました。
写真右側が三の丸東櫓台です。石垣下方は黒っぽく、上方は白っぽくなってます。白っぽい石は修復された石垣と思われます。
櫓台跡のほうまで向かいます。今は無くなっておりますが、当時はこの通路から奥の櫓台まで一続きの櫓になっていたと考えられており、坂を登る敵を狙い撃ちできるように作られていたようです。
櫓台からの眺めです。かなりの高所にある為メチャクチャ眺めが良いです。瀬戸内海の島々はもちろんのこと、よく見ると本州のほうまで見えます。敵の動きをいち早く察知できただろうな〜。
櫓台側から月見櫓方向を見るとこんな感じです。
三の丸東櫓台を見学した後は三の丸の北側の石垣、通称「扇の勾配」を見に行きます。
⑩扇の勾配
三の丸北側の石垣は、丸亀城の石垣の中で最も高さが高いそうで、20m以上の城壁が続きます。
勾配具合と角が美しい。。。何とも言えん。
⑪二の丸長崎櫓跡
扇の勾配を見ながら進むと二の丸長崎櫓跡にたどり着きます。
長崎櫓は平成3〜4年に修復工事が行われたのでこちらは修復後の姿となります。
ニの丸長崎櫓跡
長崎櫓跡は、石垣高約12m、広さ東西5間(約9.4m)、南北4間(7.6m)で、石垣上部から約60cmの深さに建物の礎石がありました。
平成3〜4年度の石垣修理工事で石垣内部の構造がわかりました。内部には、土砂と礫を層状に突き固め版築した盛土があり、石垣と盛土の間には、安山岩の角礫を用いた栗石が約2m幅で入れられていました。
この栗石層は石垣内の水抜きや土圧の緩和作用があると言われています。
丸亀市教育委員会
長崎櫓跡から天守がよく見えるので記念に撮影しました。
⑫三の丸戌亥櫓跡
ここで二の丸へ行かずに戌亥櫓へ行く予定だったのですが、痛恨のミス。すっかり目の前の天守へ向かってしまいました。
後で写真をチェックすると天守を撮影した写真に奇跡的に戌亥櫓が写り込んでいるのを発見したので貼っておきます!
この戌亥櫓は明治2年の藩邸(旧京極家御殿)火災で消失したそうです。花崗岩でできた石垣には火に当たって赤くなった跡があります。
スルーしちゃったので写真はありませんが・・・。
続いて二の丸井戸へ向かいます。二の丸へは長崎櫓跡から階段を上がります。
天守には石落としも見えます。
そのまま二の丸井戸へ向かいます。前方に井戸が見えてきましたよ。
⑬二の丸井戸
二の丸井戸
この井戸は直径が一間(一、八メートル)、深さは絵図によると三十六間(約六五メートル)と記され、日本一深い井戸といわれている。丸亀城で最も高いところにあり、現在も水を湛えている。また、石垣を築いた羽板重三郎が敵に通じるのを恐れたお殿様により、この井戸の底に入っている間に石を落とされて殺されたという伝説が残っている。
井戸内部をのぞいて見ましたが真っ暗で奥底にわずかに光が反射しているのが見えました。
⑭二の丸
二の丸井戸のある場所は二の丸の広場になっています。
続いて、いよいよ本丸へと向かいます。
二の丸から坂を上がると本丸です。
⑮本丸
いよいよ本丸の様子です。特に目立ったものはありません。
⑯現存天守
さて、いよいよ天守に入城します。
ちなみに丸亀城の天守は、全国に12しかない現存木造天守のうちの一つです。高さが約15メートルで、三重三階の造りです。
丸亀城天守(附 指定)板札 国指定重要文化財 昭和18年6月9日指定
江戸時代初期、山崎氏により建築されたと考えられる天守で、全国に12しか残っていない貴重な現存木造天守です。高さ15m、3層3階、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんかわらぶき)で、壁面及び軒裏は漆喰(しっくい)で総塗籠(そうぬりこめ)になっています。1層目は東西6間、南北5間の広さで、高さ約2mまで腰板張(こしいたば)りとし、北面に石落としを設け、二の丸搦(から)め手に備えています。2層目は東西4間半、南北3間半、南北に唐破風(からはふ)をつけ、3層目は東西3間、南北2間、東西に千鳥破風(ちどりはふ)、北面には素木の格子窓(こうしまど)を設けています。
天守内部は、各階に柱を建て、特に隅柱(すみばしら)は左右に添え柱を建て、柱頭に燧梁(ひうちはり)をかける堅固な構造としています。壁面は長押(なげし)の高さまで漆喰を厚く塗り防御を固めるとともに、足元には非常の際に打ち抜いて使用する大砲狭間(おおづつざま)を設けています。
通し柱を使わず各階に柱を建て、上階を急激に狭め逓減率(ていげんりつ)を大きくしていることと、本来なら間口の広い東西方向に棟を設けるべきところを南北方向に三角形の入母屋屋根を見せることにより、北側の城下から見上げたときに天守が大きく見える工夫がなされています。
また、昭和23年から25年にかけて行われた解体修理の際に、最上階の南東隅の壁面内部から長さ75.8cm、幅13.9cm、厚さ6mmの檜材の板札(祈祷札(きとうふだ))が発見され、この墨書(ぼくしょ)により天守が万治3年(1660)に完成したと考えられています。
丸亀市教育委員会
この説明板は二の丸から本丸に通じる坂の天守そばにあります。
1階
天守入館は有料です。大人200円、小・中学生100円です。開館時間は9時〜16時30分で入場受付は16時までです。
受付で支払いをした後は忘れないうちに100名城スタンプを押します。
スタンプを押した後は靴を脱いで用意されてあるスリッパに履き替えます。
展示物が色々ありますが写真撮影できたのがこのパネルだけでした。しかもピンボケで申し訳ない。雰囲気だけでも伝わりますよう、、。
1階の展示物を見学した後は2階に上がるのですが、階段がかなり急です。皆さん手すりを持って恐る恐る上り下りする感じで、登る人がいなくなるか降りる人がいなくなるまで待つことになります。(そんな状況ですので写真は撮影できてません・・。)
↓Twitterに掲載されてました。参考にどうぞ。
上り下りしている間注目されますので、女性はスカート厳禁!
2階
2階です。照明が無く外からの光だけですので明るさは天候に左右されると思います。
大筒狭間です。天守に大筒狭間があるのは他に類が無いそうですよ。
大筒狭間(おおづつざま)
有事の際に、打ち抜いて使用する隠し狭間の形式をとっており、低い位置に設けられていることから大筒用と考えられる。
3階
3階最上階です。こちらは採光がよく取れていて明るいです。
京極時代の丸亀城復元図のパネルが展示されていました。
丸亀城復元図(京極時代)
慶長2年(1597)に生駒氏によって築かれた丸亀城は、大坂之陣の元和(げんな)一国一城令で廃城とされた。
そして、寛永18年(1641)に西讃岐六万石に封じられた山崎氏によって改めて再建された。現存する石垣や天守はこのときに造られたものである。次の京極氏は工事の一部を引き継ぎ、さらに大手口を北に改め、枡形に櫓門等を新造した。この復元図は、そうしてできた丸亀城を北東から俯瞰(ふかん)したところを示す。復元は現地形のほか、築城時に作られた木図(もくず)と絵図、江戸時代の絵図などの恵まれた史料に基づいており、櫓の棟の向きまで分かって描いている。
御殿に関しては、中心建物である大書院と居間等の図が伝わっている。御殿は明治2年に焼失し、櫓等は同9年に取り壊されたが、その頃作られた図に御殿全体の構成を示す略間取り図が描かれている。
〈復元〉宮上茂隆 〈図〉桝村太一
丸亀城天守は鉄砲などで壁をたやすく撃ち抜かれないように長押(なげし)より下の壁は厚めに壁を塗ってあります。太鼓壁(たいこかべ)といいます。
天守は全て見学したので天守を出て先を進みます。
⑰月見櫓跡
天守を見学し終えた後は二の丸を経由して三の丸へ。月見櫓を見学します。月見櫓は城の東と南を見張るのに作られ、月を見るのに最適だったそうです。
月見櫓から見える特徴的な形の山は飯野山です。通称讃岐富士と呼ばれているそうです。月と讃岐富士のコラボレーションはさぞかし美しかったでしょうね〜。
⑱延寿閣別館
延寿閣別館です。麻布にあった丸亀藩京極家の江戸藩邸の一部を昭和8年(1933)に移築したもので、内部は大名家の生活がしのばれるよう昔のまま保存されているようです。
延寿閣別館からのそばにある二の丸石垣です。息子の身長と比較するとその高さがよくわかります。
⑲三の丸井戸
続いて、延寿閣別館を後にし三の丸井戸へ向かおうと思ったのですが、井戸の西側の石垣が崩れているためフェンスで仕切りがしてあり、見学はかないませんでした。
う〜ん。残念です。修復後にまたリベンジしたいですね。
すぐそばの経路から搦手口(からめてぐち)方向経由でスタート地点の駐車場を目指したいと思います。
道なりに進むと・・・。
三の丸搦手のあたりです。昔は搦手側が大手(つまり入り口)だったそうです。
⑳搦手口
一番下まで降りてくると搦手口に出てきます・・・が、急いでいたのでゆっくり見る暇がなく撮影もできていません。
㉑野面積み石垣
野面積み石垣も同様に若干引き返さないといけなかったので見学できず。次回は必ず見学・撮影したいと思います。
㉒崩落石垣
搦手口から駐車場に向かう道から、石垣の崩落(2018年発生)現場が見えます。そのままずれ落ちた感じですね。
すぐそばの広場には崩れた石垣の石が整然と並べられています。
一つ一つに番号が付けられていました。
まとめ:丸亀城の高石垣は日本一!扇の勾配も忘れず見てね
さすがに石垣の名城と言われる丸亀城でした!日本一の高石垣を堪能致しました。築城400年を超えてなおその存在感は迫力満点です。
ただ近年の異常気象による豪雨で崩れた石垣は痛々しく、なんとか元どおりになって欲しいと心から思います。
時間の都合上、見学できないところもあったので次回はそのあたりを中心に訪問したいと思います。
アクセスなど基本情報
名称 | 丸亀城 |
住所 | 香川県丸亀市一番丁 |
電話 | 0877-22-0331(丸亀市観光協会) |
休業日 | 【天守】なし、【大手一の門】雨天時(見学希望の際は、城内観光案内所に声をかける) |
時間 | 【天守】午前9時〜午後4時半(入城は午後4時まで)、【大手一の門】午前9時〜午後4時 |
入場料 | 【天守】大人 200円 / 小人(小・中学生) 100円、【大手一の門】無料 |
交通 | JR丸亀駅からは、徒歩約10分 |
コメント